たまにはゲーム以外の話から。

古書収集に「懐古科学雑誌」というジャンルがあります。古くは大正時代から戦後の昭和30年代前半くらいまでの科学雑誌(『科学画報』『科学朝日』『国民科学』『子供の科学』など)を収集する人たちが集まっている分野で、これ専門にコレクションしている人も大勢いるほど人気があります。

以前からこういう雑誌がかなり好きで、たまに買って読んだりしていました。自分が生まれるはるか昔の人たちが思い描いていた想像の未来(これは"レトロフューチャー"とよく言われます)を、今その時代にいる自分が読むということは、何だか変な気分になります。

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この奇妙な感覚は、大伴昌司氏の作品(というか企画)でも味わうことが出来ます。ここ数年の間に、昭和40年代に大伴昌司氏が全盛期だった頃の活動をまとめた本はいくつか出版されました。

写真は、そのうちのひとつである「少年マガジン大図解」の「1・未来社会」編で、この当時の「未来」への思いを知ることが出来る貴重な資料ともなっています。

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これと似た流れで、昨年の終わりごろから80年代初頭の古いパソコン雑誌の収集に凝っています。対象にしているのは「月刊アスキー」と「I/O」が中心ですが、ゲーム誌もファミコン登場以前の雑誌であれば買ったりしています。

これもやはり、昔(といっても、たかだか四半世紀ほど遡るだけです)の未来観を知る資料として読んでみると、様々な発見があって実に興味深いものがあります。

この時期の"コンピュータ"は、今の感覚からすると本当に何も出来ない代物でした。ですが、そのおもちゃのような機械に夢をはせ、「80年代」という新しい世代に期待をかけ、少しばかり大げさに煽っている記事が、古い雑誌のページをめくると、もうそこら中にあります。

「パーソナルコンピュータのハードウェアおよび基本ソフトウェアはパーソナルコンピュータをツールとしてみたとき、現段階ではほぼ完成の域に達しているといえるだろう」。これ、いつの記事だかおわかりになるでしょうか? なんと1980年8月号の月刊アスキーなのです。

この当時を思い起こせば、この記事に書かれたことと現実との乖離は明らかなものです。ですが、コンピュータの世界に関わる人たちが、やがて来る理想の未来を信じて疑っていなかったのもまた事実なのです。それは決して楽観ではなく、確固たる技術に裏付けされた、長い道程の向こう側にある共通のビジョンでした。

この頃すでに僕は、アルバイトとしてプログラムを書く仕事を受けていました。たばこの臭いが絨毯に染み付いた事務所の片隅で、マイナーなカスタムチップの制御プログラムを、CP/M の不自由なエディタとグリーンディスプレイの小さな画面を相手に悪戦苦闘しながら、夜遅くまで組み上げていました。思い出補正がかかっているのかもしれませんが、それを苦に思ったことが不思議とありませんでした。むしろ、そういう状況を楽しんですらいたように思います。

それは今、ボードゲームやカードゲームに取り組む自分の気持ちにもまた似ています。「こんなにオモシロイものが世の中に広がらないはずがない」という根拠のない自信が、自分の行動の原動力になっているのは、対象が違いこそすれ、今も昔も変わりありません。そして、何かほんの些細なことをきっかけとして、このホビーが瞬く間に世を席巻し、やがて根付いて行くのだと僕は心の底から信じています。