突然の喪中はがきで、旧友の勝木康明氏がこの6月で亡くなっていることを知った。その知らせに心の底から衝撃を受けた。

勝木康明氏の名前は翔企画から発売されているいくつかのゲームデザイナーとしてご存じの方も多いと思う。「装甲騎士団 メックナイツ」(およびその拡張セット)、「ナイトメアハンター」(以上TRPG)、「悪代官」「スーパーヒーロー対悪の帝国」(以上カードゲーム)が彼がデザインを手がけ、世の中に出た作品である。

しかしそれよりもずっと前から彼は僕のゲーム仲間のひとりだった。10代の終わりから20代の始めにかけて、彼と僕は、まるで熱病にうなされたかのようにたくさんのゲームを遊んだ。ちょうどこの頃、僕はシミュレーションゲームのサークルを主宰していたこともあり、そこを媒介にしてさらにたくさんの人たちとの交流がふくらみ続けた時期でもある。

わざわざ清里まで大勢で出向いてゲーム合宿を行ったこともあった。当時は珍しかった個人輸入によるゲーム共同購入も何回か行った(ネット環境など無く、1ドルが200円以上した時代で、である)。これらはすべて勝木氏の先導で実施された企画であった。彼のゲームの楽しみ方、取り組み方、そしてのめり込み方は、僕など足下にも及ばないほどパワフルだった。

そしてそれがひとつの形になって結実する。年数で言えば1982年ごろだったと思うが、勝木氏が集めた同士たちによってオリジナルゲーム同人誌「アニゲーマー」が制作されたのである。

「アニゲーマー」は、主に日本サンライズ系のアニメ作品を原作にして、主に当時流行っていたシミュレーションゲームの手法を用いてゲームを制作し、それを同人誌として頒布するサークルで、僕もメンバーのひとりであった。同人誌でありながら、ゲームデザイナー・編集・グラフィックデザインと分業化されていたのは、今にして思えば、勝木氏の合理的な考えと人脈の広さを表していたと言えるだろう。

80年代初頭であるから、当然ながらワープロなんて便利なテクノロジーは一般的ではなく、世の中の同人誌はほとんどが手描きという時代である。同人ゲームも当たり前のように手描きを前提にして制作された(ヘクスマップを手描きで制作する手間を想像して欲しい)。「アニゲーマー」は、コミケ開催(当時は年3回開催)に合わせて発行され、1冊に5〜6ゲーム(か、それ以上)は詰め込んでいた。

当時、オリジナルゲームを専門に制作する同人グループはほとんど存在しなかった。勝木氏の先見性と行動力、多くのスタッフまとめるリーダーシップ、そして誰からも親しまれる人柄が生み出した奇跡が「アニゲーマー」だった。

それから幾年月、今から6年ほど前に久しぶりに彼に会う機会に恵まれた。勝木氏はもうゲームからは疎遠な生活を送っていたにも関わらず、無理を言って自分の仕事(カードゲーム制作)の手伝いをお願いするためであった。そして素晴らしい結果を彼は残してくれたのだ。それなのに…

はっきり言えば、彼がいなければ僕は今の仕事(電源系ゲーム制作)に就くことはなかっただろう。ボードゲームを個人的に楽しむくらいはやったかもしれないが、倉庫を借りてまで大量に収集するなんてこともしなかったと思う。僕の人生において、最も強烈で、最も信頼し、最も影響を受けた人が死んだ。この喪失感はとても言葉で言い表せない。それともこの現実を受け入れろとでも?

やり場のない感情をどこにぶつけようもなく、今はただ途方に暮れるばかり。どうか安らかな眠りを。