東京ボードゲームフリーマーケット

回想したって何かが変わるわけではないけれど、ともかくも、僕は久しぶりにこの駅に降り立った。

あのときは確か、弟のがん手術が無事に済んで、彼が入院している病院へ見舞いに行くためだった。さてあれは何年前になるのか。その前に来たのは、両親の死後に生じた何かの面倒な事務処理を済ますためだった…はずだ。多分ね。細かいことは忘れたよ。このトシになったらそんなことだらけだ。

高校を卒業するまで、僕はこの街で育った。当時の川崎はこんな小洒落た景観ではなくて、京浜工業地帯のベッドタウンと公営ギャンブルを一手に引き受けた巨大でほこりまみれの産業都市だった。

当時、日が落ちてから東京湾方面を見渡せば、そこには幾つものフレアスタックが音もなくゆらめき、光化学スモッグ注意報は夕立よりもありふれた夏の風物詩だった。僕は10歳になるまで、コオロギよりも大きなバッタも、川底にヘドロが沈殿していない河川もテレビや本でしか見たことがなかった。そしてクラスメイトには、あらかた数人のぜんそく持ちが必ずいて、そのぜんそくは、ざっくりと「公害病」とか呼ばれていた。


…誰得なおっさんの自分語りでこのエントリーが埋まる前に、東京ボードゲームフリーマーケットに行ってきた話をさっさと書こう。

[東京ボードゲームフリーマーケット] http://tokyo.boardgame-freemarket.com/
※現在はリンク切れ

とはいえ、実のところそれほど書くこともないのだ。事前にあちこちで公開されていた販売予定の中古ゲームリストはざっとチェックしていたけれども、その中で自分が欲しいと思うようなものは数点ほどで、しかも当日11:30ごろに会場入りしたときには、それらがもう消滅してたからだ。

そう、会場には僕の予想を超えて多くの人と喧噪であふれていた。

行きの電車内でチェックしていた僕の TL には、「待機列100人」「200人」とかいうにわかに信じ難い会場の様子が断片的に流れていて、というかそもそも待機列禁止という通達がなされていたはずなのに意味がわからない。

もちろん現場では、こんな短文のレポートからは知りようのない深い事情があってのことだろうと好意的に解釈して心を落ち着けたところで、各ブースに置いてある個人が用意した薄い在庫がそう長く持つとも思えず、実際その通りとなった。

ようするに、こと中古ゲームの買い入れに関して僕は、このイベントにおいて負け組に入ったことが、南武線の登戸にたどり着く少し前あたりでもはや確定していたということだ。

ということもあって、当日に会場で入手したのは以下のみとなった。念のため書いておくと、これらのゲームやアクセサリーだって、その多くは事前の購入候補に入っていたものだ。

moon Gamer

会場では顔見知りの方々の何人かと挨拶を交わすこともできた。欲しかったゲームが手に入らなかったのは残念だったけれども、こうして久しぶりにお会いする人たちと言葉を交わす機会が得られたことだって大きな成果のひとつだ。今はそう思うことにしよう。

狭い会場だったし、それほど買い物もしなかったので、ここにいたのは30分ほどだったと思う。伝聞では開場時間直後にいろいろあったようだけれども詳しくは知らない。総じて、僕個人としてはこのイベントを楽しむことができた。これは本当の気持ち。

このようなすばらしいイベントを企画し、多くの苦労を乗り切って開催にまでこぎ着け、そして無事に最後まで運営を取りまとめたスタッフの皆様方には、心からの敬意と感謝の気持ちを表したい。


さて、会場を出てから僕は、駅とは反対方向にある多摩川の河川敷に出向いていた。何か目的があったわけではなく、本当に何となくただふらりと。

この川に沿って走る府中街道は、かつて僕の通学路でもあった。河川敷はその当時と同じ場所とは思えないほどきれいに整備されていて、背の高い近代的なマンションがいくつも立ち並んでいる。

僕が子供のころそこは、夏になると悪臭を放つ汚泥と、大気汚染で葉がべとべとに汚れた草が密集していたし、詳細はあえて書かないけれど、粗末なバラック小屋が土手の下に点在していた。もちろん、今はそんな光景は跡形もなく消え去っている(はず)。

さすがに臭いはしなかったけれども、多摩川は相変わらず濁っていて、やっぱり川底はよく見えなかった。次にここへ来るのはいつで、どんな理由になるのだろうかと詮無いことを考えながら、しばらくその流れをぼんやりと眺めていた。

moon Gamer