moon Gamer - ボードゲームブログ

テーブルゲーム(ボードゲームやカードゲームなど、電気を使わないタイプのゲーム)と、その周辺の話題を中心にした記事や写真を広く公開している個人ブログです。

タグ:レイメイ期のウォーゲーム

レイメイ期-3

この記事は、Board Game Design Advent Calendar 2014 の24日目の記事と、本ブログ「レイメイ期のウォーゲーム」の第3回目のエントリーとを兼ねて書かれました。

本エントリーでは、月刊ホビージャパン1972年4月号と、1972年6〜10月号まで連載されていた「ミニチュア模型による・ウォーゲーム(著:井出隆弥氏)」の記事を紹介しています。そして、この当時に国内で紹介されたばかりのミニチュア・ウォーゲームのオリジナルルールがどのようなものであったかということと、そのデザイン過程のレビューをしてみました。

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レイメイ期-2
Photo by Alf Melin

十九世紀に入ったとき、ヨーロッパは、戦乱の中にあったので、ウォーゲーミングのパズルのかけらは、大陸中にまき散らされた。
「無血戦争」 著:ピーター・P・パーラ 訳:井川宏 ホビージャパン刊
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海外において、立体のコマや地形を用いた「ミニチュアウォーゲーム」は、古くからさまざまな形でプレイされ、培われてきた長い伝統があります。日本でも模型という娯楽は戦前からあって愛好者も多かったのですが、それを使ったウォーゲームは全く注目されることはなかったようです。

[ミニチュアゲーム]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0

◆キーパーソン
この「ウォーゲーム(あるいは"ウォー・ゲーム")」を、国内メディアで初めて紹介したのは、かつて新宿でミリタリーフィギュアや軍事関係の書籍を販売するショップを経営なさっていた井出隆弥氏という方です。

◆1971年8月号
井出隆弥氏が月刊ホビージャパン1971年8月号に寄稿した「モデル・ソルジャーの世界」という記事では、スケールモデルそのものを作り上げることが主流だった当時のミリタリーモデルの世界へ、新たに情景模型(ジオラマ/HJ誌上の表記は"ディオラマ")の愉しみを提唱するという趣旨でした。

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連載初回記事では、54mmスケール(1/32)モデルの紹介と、そのコレクションが海外で盛んに行われているという概要のみが書かれています。この時点ではゲームの話は出てきません。

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◆1971年9月号
翌9月号では、大量のスケールモデルを使用したジオラマの作例が、印象的な写真と共に掲載され、その制作方法が具体的に書かれるようになりました。

このように、執筆者自身がジオラマ制作を行って多数の写真を掲載し、作例に使用したスケールモデルの紹介や、あるいはそれらの歴史的な考証を行うというスタイルは本連載の特色となり、この後もずっとこの方針が堅持されています。

◆1971年11月号
連載4回目となる1971年11月号では、ジオラマの主要な構成要素のひとつであるミリタリーフィギュア、つまり兵士の人物模型に焦点を絞っての解説となります。この号の記事において、「30ミリ ウォーゲームスケール」という、ミニチュアウォーゲーム専用フィギュアの概要が、十数行ほどさらりと紹介されました。

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これは、ウォーゲーム関連の情報が国内メディアに取り上げられた最初期の記録ではないかと思われます。もっともこの時点では、ウォーゲームがどのようなものであるのかまでは詳しく触れられてはいません。

◆1971年12月号 ※更新: 2014/12/27追加
本号では、海外でどのような歴史的経緯でウォーゲームは成立してきたかということと、(掲載当時の)最新事情が、多くの写真付きで紹介されています。記事にはH.G.ウェルズの「リトル・ウォーズ」の紹介もあります。

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この記事に掲載されている写真は、主にイギリスの模型雑誌から引用したものでしょう。井出氏が後の連載で作り上げるオリジナルゲームは、これらの写真に写っているような多数のミリタリーフィギュアが立体的なジオラマ上でひしめいている様子から、強くインスピレーションを受けて制作されたものと思われます。

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◆1972年1〜3月号
翌1972年1月号では、海外でミニチュアウォーゲームによく使用される54mmスケールモデルの本格的な紹介が行われ、その次の号から「ウォーゲーム」そのものを紹介すると予告されます。

ですが実際には、「キット製作に意外に手間どり、翻訳に不備の点も多い」との理由で、2月号の記事はジオラマの作例や制作方法の紹介だけとなっています。

続く3月号の記事では「前哨戦」と称し、ウォーゲームを強く意識した戦場ジオラマを作例として挙げ、その歴史的背景と共に解説されました。しかしここでもまだゲーム要素の紹介はごく概念的な事柄に留まっており、具体的な情報はほとんど書かれていません。

◆1972年4月号
そして1972年4月号にて、ウォーゲームの「ルール」についての解説がようやく始まります。題して「ミニチュア模型によるウォー・ゲーム」。これは、海外の複雑なミニチュアウォーゲームを下敷きにしつつも、ウォーゲームに初めて触れる当時の国内モデラーでも手軽に遊べるようにデザインされた井出隆弥氏のオリジナルゲームでした。

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なおこの号の記事から「無断複製・転載を禁ず」という一文が冒頭に掲げられるようになり、この「ルール」が執筆者の創作物であることが強調されるようにもなっています。

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◆未踏のウォーゲームデザイン
この連載は同年10月号まで続き、1回の休載を挟んで計6本の記事となっています。

最近になって、この連載を改めて読む機会を得たのですが、どことなく釈然としない印象を受けました。この連載時には、既にベテランモデラーとしても、そして戦史家としても実績のあった井出隆弥氏でしたが、ウォーゲームにはそれほど慣れ親しんではいなかったと思われる内容だったからです。

ジオラマの愉しみ方のひとつとして連載記事に取り上げたウォーゲームが予想外の人気を博したことに戸惑いを感じつつも、それでも何とか読者の要望に応えようと尽力し、それがどこかずれてしまった… そんな感じです。ただ私にとってそのことは、掲載されているルールそのものよりかえって興味深く思えました。

そこで次のエントリー(第三夜)では、このオリジナルウォーゲームがどのような「ルール」であったか、またどのようにして作り上げられていったかを、簡単にレビューを行う形で連載順に紹介し、そのことによって「Board Game Design Advent Calendar 2014」第24日目の記事としたいと思います。どうか明日24日もよろしくお願いいたします。

(第二夜 了 / 第三夜へ続きます)

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レイメイ期-1

1969年は玩具業界にとって、歴史的分岐点にあった。
「怪獣玩具の冒険」 著:神谷僚一 フィルムアート社刊
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当時「プラモデル」の商標を持ち、ソフビ怪獣人形の大ヒットを飛ばしたマルサンが、1968年の暮れに倒産します(倒産時の社名はマルザン)。業界大手の一角であったマルサンの倒産は各方面に衝撃をもたらし、そのことは一般誌にも報じられるほどでした(『週刊文春』1969年2月3日号など)。 マルサンは1969年4月に早くも事業を再開しますが、再建当初は役員3人のみ、本社は社長の自宅という状況でした。

[マルサン商店]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B3%E5%95%86%E5%BA%97

マルサンが再建された1969年に今度は今井科学が会社更生法を申請、倒産した。
「マルサン物語: 玩具黄金時代伝説」 著:神永英司 朝日新聞出版刊
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「サンダーバード」関連商品のヒットにより大きな収益を上げていた今井科学の倒産により、マルサン倒産に引き続いて玩具業界は大きく揺れ動きます。サンダーバード商品は、同じく大手のバンダイと共同して宣伝や拡販に努めていましたし、実際に今井科学は前年の決算で27億円近くもの年商を叩き出していました。その翌年の決算を待たずして倒産しまったのです。

[今井科学]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E7%A7%91%E5%AD%A6

倒産時の両社に共通していることは、主力商品がマスコミ玩具、すなわちキャラクター玩具にあった点です。その隆盛を支えていた「サンダーバード」や「怪獣ブーム」は1969年ごろには既に人気のピークを過ぎていました。

[第一次怪獣ブーム]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E6%80%AA%E7%8D%A3%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0

もう怪獣の時代じゃなくなった。思い切ってやめることにして、また宇宙へ返してやろうと思う。
「空想特撮シリーズ ウルトラマン大全集」 テレビマガジン編集 講談社刊
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1968年に放送を終了した「ウルトラセブン」は、円谷英二のこの言葉によって第1期ウルトラシリーズ(放送当時は空想特撮シリーズ)の終わりともなりました。実際に、巨大な着ぐるみ怪獣が登場する特撮番組は次々とテレビや映画から消え去り、他の試みが多くなされていました。
結局、この数年後に再び怪獣ブームが訪れるのですが、それはこの時点では少しだけ未来のお話です。

子供を取り巻く環境も急激に変化していました。昭和30年代は第一次ベビーブーム世代(後に言われる"団塊の世代")が学齢期を迎えていた時期であり、これが玩具ビジネスの内需に好影響を与えてたことは容易に想像できます。

[ベビーブーム(1947〜1949年)]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0
[団塊の世代]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3

ですが、それだけを頼りにした事業スキームは、世代が進んで子供の数が相対的に減少するにしたがって様々なひずみを生じさせることとなりました。

昭和35年(1960年)と、その10年後の昭和45年(1970年)の国税調査結果のグラフからは、わずか10年で年少人口が大きく変化していることが見て取れます。現在の感覚からすると子供の総数は決して少なくはありませんが、それまでとは極端に異なった状況に移ったことはよくわかるグラフです。

[昭和35年と昭和45年の人口ピラミッド (総務省統計局サイトより)]
http://www.stat.go.jp/info/pdf/60-70.pdf

この団塊の世代の子供たち、いわゆる団塊ジュニアと呼ばれる世代(第二次ベビーブーム)が現れるのは、やはり少しだけ未来のことです。

「月刊ホビージャパン」が、ミニカー専門の模型雑誌として創刊したのは、そんな1969年(昭和44年)の夏のことでした。

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「初心者用の記事は掲載しない」と明言して憚らないこの尖鋭的な新しい模型雑誌は、やがて『ウォーゲーム』という新たなホビーを国内へもたらす契機を作り出すことになります。

もちろん、そのことも彼らにとって、まだ見ぬ未来のお話なのでした。

(第一夜 了 / 第二夜へ続きます)

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