
「タクテクス」は、ゲーム専門誌としては、恐らく国内で最初の定期刊行物です。その創刊号は1981年の暮れに発売されました。
ヒストリカル・シミュレーションゲームは、80年代のホビーシーンを灼熱のごとく駆け抜けました。そのブームの先駆けは「ホビージャパン」誌であり、そこから派生したゲーム雑誌として「タクテクス」は誕生しました。
個人的に、創刊号で最も印象に残っている一文があります。それは、最初の記事の冒頭に何気なく書かれていた以下です。
>「SPI社の新作ゲーム”スターリングラードの戦闘”は発表と同時に論評を加えたくなるものの一つである」
論評… 今でこそ、「ゲーム」はレビューの対象として当たり前の扱いを受けていますが、80年代初頭にその概念は一般的ではありませんでした。おもちゃ屋で売っているようなゲームは子供の遊びでしかありませんでしたし、大人がやるゲームといえば麻雀・囲碁・将棋くらいで、しかもその主な目的は賭博でした。
しかし上の一文は、シミュレーションゲームが勝敗だけにこだわった刹那的な遊びとは明らかに一線を画すホビーであることを明確に示しています。つまりこれは、「ゲームは創作作品であり、それは大人の鑑賞に堪えうる洗練された趣味である」ということを、さりげなくも高らかに宣言したものと言えます。
ともあれ、「ゲームを論評する」という行為は「タクテクス」によってより一般的なものとなり、遊びの世界における住人たちに強烈な意識改革をもたらすことになったのでした。

さて、本日の記事を書くにあたって「タクテクス」創刊号を久しぶりに読みなおしてみて、ちょっと面白いことに気が付きました。あちこちにあの「アラン・R・ムーン」の名前が出てくるのです。
アラン・R・ムーンといえば、2004年ドイツゲーム大賞を受賞した「Ticket to Ride(乗車券) / Days of Wonder」を筆頭に、典型的なドイツゲームデザイナーという印象がありますが、実は80年代にはシミュレーションゲームのデザインやディベロッパーとして活動していました。
「タクテクス」創刊号だけでも、広告や記事の中に、彼の手がけたゲームがいくつも出てきます。それだけれはなく、記事の中にもアラン・R・ムーンが登場していました。「アートワーカーインタビュー」という記事がそれです。
これは、グラフィックデザイナーへのインタビュー記事なのですが、質問を投げかけているインタビュアーが何とアラン・R・ムーンでした 何でもやる人ですな。
※たまに聞かれるのですが、僕のハンドル名「moon」は、アラン・R・ムーンとは何の関係もありません。高校時代のあだ名(むー/むーさん)をもじっただけです もちろん、アラン・R・ムーンは僕の好きなゲームデザイナーのひとりです。
コメント
コメント一覧 (3)
「タクテクス」懐かしいですね~。私も読んでましたよ。
私のゲーム暦はエポック社の「バルジ大作戦」から始まりました。あの頃はウォーゲームなんていう呼び方をしてましたっけ。
まあ遊んでくれる人がなかなか見つからなかったんですけどね・・・。
当時かなりインパクトがありました。