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−聖書に書かれていないことを認めるわけにはいかない。
−私はここに立っている ('Hier stehe ich')。
−それ以上のことはできない。神よ、助けたまえ。
 1521年、ヴォルムス帝国議会への召喚において、
 彼の主張を撤回するよう求められた際に放った
 マルティン・ルターによる拒絶の返答。

多くの先駆者がそうであったように、宗教改革のキーパーソンであったマルティン・ルターもまた、多くの苦悩と論争にまみれて生きた人でした。理想と現実、伝統と革命の狭間で、自らの信念を貫いて時代の潮流を変えたその人は当初、敬虔できまじめな一介の修道士に過ぎませんでした。

優れた神学者でもあった彼は、「買うことで煉獄の霊魂の罪の償いとなる」という贖宥状のあり方を嘆き、それについて自らの素朴な疑問を呈した1通の書簡を書き上げ、それを彼が講座を受け持つ大学にあった聖堂の扉に提示しました。1517年のことです。これが後の世に言う「95ヶ条の論題」呼ばれるものでした。このテーゼ(提題)が、世紀をまたいだ後にまで続く歴史的な変事の原動力となることなど、当の本人はもちろん、他の誰もがこの時点では予測することなど出来ませんでした。

95ヶ条の論題… 聖書に対する深い洞察と豊かな神学的知識に裏付けされたこれらのテーゼは、貧困にあえぐ農民たちに強く支持されました。そしてそれらの思いは、この当時において絶大な権力を保有していたローマ教会の威信をも揺るがす巨大なうねりとなって、欧州全域を激動の渦の中に飲み込んでいくことになります。宗教改革の狼煙はこうしてあがることとなりました。

「私はここに立っている」 それは、ルターが自己の立場を貫くと決めた言葉であり、神の琴線に触れた瞬間でもあったのです。


Here I Stand / GMT Games moon Gamer

1517年シナリオ。6人。

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16日(土)は、西八王子にて開かれた「Here I Stand / GMT Games」会に参加してきました。「Here I Stand」は、16世紀、中世末期の欧州における宗教改革の時代をテーマにしたカードドリブンメカニクスのマルチプレイヤーゲームです。

参加者は、お部屋を提供していただいた taro さんの他、かゆかゆさん、一味さん、ファラオさん、カエルさん、そして僕の6人です。8月から準備を進めて、やっとこの日に(このゲームの最適人数と思われる)6人プレイを実現することが出来ました。

「Here I Stand」には「勢力」が6つ登場します。いずれも、16世紀当時の欧州で主要な勢力です。このような、いわば主権国家が欧州で出現し、中世の封建国家における君主が権力基盤を拡大し、何とか安定化したのは、ルターが「95ヶ条の論題」を発表するのに先立つわずか数十年余りの間のことでした。

まずは「フランス」。フランスは14~15世紀にかけて、海を隔てた隣国イングランドとの百年戦争(と、その後の国内統治強化によって)イングランド王とブルゴーニュ公勢力の排除に成功し、強固な国家体系を確立しました。その「イングランド」は、百年戦争の直後に勃発したバラ戦争の後、ヘンリー7世の巧妙な貴族政策が功を奏し、テューダー朝による絶対権力の基盤を作り上げました。

他方「ドイツ」では、13世紀以降、小さな地方国家の集合によって構成されていました。これが「領邦」であり、それらが主権国家の役割を果たしていました(本ゲームにおいてドイツは、プロテスタントの中枢勢力として扱われています)。

彼らのような主権国家にとって大きな障害となったのは、それぞれの国内における「ローマ・カトリック教会」(およびその周辺勢力)でした。悪名高き「十分の一税」はその典型で、教会の利害が国家の利害より優先されることも決して珍しくはなかったのです。

これらの国家勢力との関係の中で、最も大きな影響力を持っていたのが「ハプスブルグ家」です。ハプスブルグ家は、13世紀にはルードルフ13世が神聖ローマ帝国皇帝となったのを端緒として、主に政略結婚を繰り返すことで所領を拡大し続けました。このゲームに登場する時期のハプスブルグ家はまさにその絶頂期であり、領主として1519年に神聖ローマ帝国皇帝となった「カール5世」が登場します。皇帝に即位した時、彼はまだ19歳の青年でした。

一方、ハプスブルグ家は欧州各地に所領を分散して保有していたため、それを守るための戦いに明け暮れていました。世を「95ヶ条の論題」が席巻した頃、ハプスブルグ家はフランスのヴァロア家と激しく長く続いていた戦いのさなかでした。しかも東欧では、ハプスブルグ家の牙城とも言うべきウィーンに迫りくる「オスマン帝国」の脅威にもさらされていたのです。

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1520年、「オスマン帝国」の君主(スルタン)であるセリム1世が没し、その王子であるスレイマン1世が跡継ぎとして即位します。彼はこの時、26歳の若き貴公子でした。しかし、即位してすぐに内部で反乱が発生し、その対応に、己の力量を世に問われる形となりました。そして翌年、反乱軍は一気に鎮圧・掃討され、スレイマンは順調なスタートを切りました。

この時期、ストレイマンの誇る軍事力は、オスマン帝国の長い王朝の歴史の中で最も強大であったと言われています。スレイマンは、この充実した戦力を背景に無数の外征を行っており、まさに彼らの伝統的なガーズィー(戦士)の精神を継ぐにふさわしい勇敢で荒々しい君主でもあったのです。即位後、最初の親征はベオグラードが目標となり、それはバルカンからハンガリーへ攻め上るための戦略拠点でもありました。

さて、再び欧州に目を向けてみます。

当時、カトリック教会は明らかに腐敗していました。しかしそれは、この時代が特にひどかったというわけではなく、何世紀にも渡って続いてきた悪しき伝統のようなものでした。当時のローマ教皇・レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂を改築するために発行した「贖宥状」も、この時に初めて作られたわけでもありませんでした。

贅沢を好み、果てしなく浪費を続けた悪名高いレオ10世。その周囲を取り巻く枢機卿たちが私腹を肥やして何とも思わなかったことと同様に、彼の存在は堕落したローマ教皇庁の象徴するありふれたひとつの現象でしかなかったのです。しかし、それらが宗教改革の大きなきっかけとなったのは厳然たる事実であり、そしてそれが故に彼らは歴史に名を刻まれることとなります。

その第一歩が、マルティン・ルターによって書かれた「95ヶ条の論題」であることはすでに述べた通りです。この反乱のマニフェストを作り、あるいは支持した人々に対して、ローマ教皇庁は素早く、そして厳然とした態度と対応を取りました。なぜなら彼らは「異端」であったからです。こと「異端」に関する限り、カトリック教会は百戦錬磨の強者揃いでした。中世を通じて多くの異端が現れては、結局はローマ教皇の前に、そのすべてが鎮圧されていったのです。経験の差は歴然としていました。

そして実際、「プロテスタント」たちはこの先も世代を超えてずっと、長く厳しい戦いを強いられることになります。その最終局面は、「95ヶ条の論題」からほぼ1世紀後に始まった三十年戦争であり、それがハプスブルグ家の敗北によって終結する1648年ごろになってやっと、プロテスタント諸派が「ひとまず生き残る」ことが国際的にも保障されるようになりました。

このように、実に130年以上にも及ぶ大きな歴史ドラマにおいて、その初戦から中盤あたりまでを総合的に追うことをテーマにしたゲームがこの「Here I Stand」です。

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「Here I Stand」の進行は、基本的にはそれほど複雑ではありません。まず、カードや追加の人物に関する処理(カード補充フェイズ)が行われた後、予め定められた時間の範囲で外交を行います(外交フェイズ)。外交は厳密にルールで定められており、規定された現状変更や同盟の締結、和平交渉、そして宣戦布告が行われます。

次いで、限定的な兵力の展開(春期兵力展開フェイズ)を行った後に、いよいよこのゲームのメインとなるアクション実施の機会を得ます(アクションフェイズ)。規定された固定順(インパルス順と言います)で、各勢力はカードプレイを行ってアクションを行います。

アクションには複数の種類があり、大まかに分類して、兵力(陸軍・海軍)に関わるものと、その他のアクションです。その他には、新大陸への航海(植民・探検・征服)と宗教的な諸活動である聖書の翻訳(プロテスタントのみ)・宗教論争の実施(プロテスタントとローマ教皇のみ)・サン・ピエトロ大聖堂の建設(ローマ教皇のみ)・イエズス会大学設立(ローマ教皇のみ)があります。

これらアクションを実施するためには「コマンドポイント」を消費しなければなりません。アクションごとに必要なコマンドポイント数は決まっています。いくつかの例外を除けば、コマンドポイントを支払える限り、同じアクションを1手番で何回でも行えます。コマンドポイントはカードに書かれています。

手番になったらカードを1枚プレイし、それをイベントとして使うか、それともコマンドポイントとして使うかを任意に選択します。原則として、1枚のカードはそのどちらかにしか使えません。アクションとして使った場合は、テキストに書かれたイベントを実施します。

移動アクションを行った結果、同盟していない勢力のユニットが同一スペースに存在した場合、戦闘が発生します。戦闘は陸上でも海上でも発生し、大まかな処理の手順はどちらも同じです。陸上での戦いは、敵の戦力削減と共に、政治的支配の確立が大きな目的となります。

またそれとは別に、宗教的な論争もアクションとして行われます。政治的支配とは無関係に、地域はプロテスタントかカトリックのいずれかを信仰しています。信仰によって政治的支配は変わりませんが、信仰は変わることがあります。しかし信仰を変えるにも軍隊の存在は有利に働きます。宗教論争は苛烈で、大きくな敗北を被ると宗教家が火あぶりに遭うことすらあります。

各勢力には、史実に則った特殊ルールがあります。例えばイングランドでは(史実がそうであったように)ヘンリー8世は最大で6人の女性と婚姻を結ぶ可能性がありますし、ローマ教皇は条件さえ整えば「破門」を宣告することが出来ます。このように、史実を知っていると思わずにやりとするようなルールやカードテキストが随所に散りばめられていて面白いです。

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ただ、史実に則った妥当なルールであるとはいえ、細かすぎる例外処理が多いのもまた事実で、もうちょっとスマートにまとめてくれたら… と感じる部分も少なくありません。デザイナーの細かいこだわりをも感じさせるルールは膨大で、そのためにプレイへのハードルがやたら高くなってしまっているのはちょっと困りものです。

とはいえ、宗教改革の時代をここまで壮大なスケールで総合的に扱ったシミュレーションゲームは本場アメリカでさえ稀少であり、シミュレーションゲーム史に残る祈念碑的作品ではあることは確かでしょう。

この日は「1517年シナリオ」を行いました。これは「95ヶ条の論題」が発表され、宗教改革の起点となった年です。まだ盤上にプロテスタント勢力はわずかで、ここから徐々に布教する(サイコロ判定)ことでプロテスタントの信仰者を増やしていくことになります。ローマ教皇はそれを阻止することは当然として、ハプスブルグと戦争状態になっているフランスとの攻防も何とか対処しなければなりません。

「陽の沈まぬ帝国」であるハプスブルグは、その名の通り最初から広大な領土を保有しており、そのために初期の手札の数も多いのですが、問題は山積みです。まず東欧ではオスマン帝国の大勢力が攻め上がってくるのは時間の問題です。スペインでも、フランスがいつ何をしでかすかわかりませんし、イングランドの軍勢が海を越えてやってくるかもしれません。地中海はやがてオスマン帝国の謀略によって海賊の天国となります。

イングランドはイングランドで、後継者に男子がなかなか産まれないという悩みを抱えています。うっかりメアリー(あの『ブラッディ・メアリー』のモデルとなったメアリー1世)が後継者になったりすると、行動に大きな制約が科せられてしまうのですが、こればかりは運を天に任せるしかありません。

このセッションでは当初、オスマン帝国がハンガリーを攻め、それが欧州の勢力図に大きく影響を与えるはずでした。しかしオスマン帝国プレイヤーのダイス運が悪く、ここで手痛い大敗北を喫して戦線は大きく後退、変わってハプスブルグが東欧で勢力を拡大し続けることになりました。この後もオスマン帝国は陸から海から、次々と攻撃を仕掛けるのですが、どうしたことかほとんど勝てません(ダイス15個振って、ひとつも5・6が出ないことも…)。

ドイツ周辺ではプロテスタントとローマ教皇が激しく論争を繰り返し、一進一退を繰り返していました。どちらかと言えばプロテスタント側が優勢だったようです。フランスはローマ教皇+ハプスブルグとの果てしない戦いに明け暮れていまして、なかなか厳しい情勢となっていました。イングランドはアムステルダムをハプスブルグから奪い去った後は、戦力を着々と整え、その間にどうにか健康な親王が誕生しました。

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結局、このセッションは、ルールの確認等にかなり時間がかかったこともあり、8時間ほどを費やして4ターン終了まで行われました。この時点でプロテスタントが何と24VPも取っていたことが判明して一同唖然。これはサドンデス勝利にわずか1VP足りない(他の勢力と5VP差に必要)だけで、うっかりすると本当にゲームが終わっていたことになります。うーむ。

1517年シナリオの前半だけプレイしてわかったのは、これは歴史的興味を満たすことを主眼に置いたシナリオであるということです。つまり、宗教改革がいかにして起こり、それがどのような状況で広まっていったのかを再現することに重きを置かれており、ゲーム的な楽しさは二の次になっているように思いました。勝敗を楽しみたかったら、余計な手続きのない「1532年シナリオ」や「トーナメントシナリオ」をプレイするべきなのでしょう。

最後までプレイ出来なかったのでお試しプレイっぽくなりましたが、それでもこの重厚で複雑なゲームをプレイすることが出来たことに、参加者全員が満足していました。これだけで終わらせるにはもったいないということで、必ず再戦を行おうという決意を固めて、本日はお開きとなりました。

長い時間、本当にお疲れさまでした>参加者各位
ぜひまた「Here I Stand」をプレイする機会があることを心から願っています。moon Gamer