
「ボードゲームで豊かな人生」。アークライトで購入したゲームに添付されているルールブックにはこんな文言が書いてある。僕たちはボードゲームで本当に豊かになれるのだろうか?
たいていのボードゲームはタダではない。店で売っているものだ。お金を出して購入したゲームが果たして面白いかどうか、事前にどんな吟味をしたとしても、箱を開けただけではよくわからない。そして、それを確認するためだけであったとしても、プレイ機会を実現するためには実に長い道のりが必要となる。
まずは遊ぶメンバーを集め、遊ぶ場所を確保しなければならない。もちろん長い文章が書かれたルールブックを、あなたの貴重な休暇の一部を費やして読み込み、それを人に説明できるほどに理解しておかなければならない。
そうまでして何とかゲームをプレイするまでにこぎ着けたとして、必ずしも良い結果が得られるとは限らない。短くもない時間をかけてプレイしたゲームが終わった後、同卓のメンバーたちから微妙な反応しか返ってこなかったなんてことは決して珍しいことではない。
それどころか一緒に遊んだ人が、後日評価サイトで「いまいちだった:5点」とか書いてしまうかもしれない。あなたが勇気を持って購入し、あなたが場をセッティングし、あなたがルールを読んで、あなたがインストしたゲームが、顔見知りとはいえ他人によって5点とか付けられちゃうわけだ。
さらに鬱なことに、後でルールブックをよく読み返してみたら誤読が発見されたり、実はエラッタが出ていたとかいうこともある。そうすると休日をつぶしてまでしてきたこれまでの苦労はいったい何だったのかと頭を抱えたくもなるだろう。
しかも、だ。あなたが本格的に落ち込むのはこれでもまだ早いかもしれない。なぜなら、後に残った無駄に大きな箱のゲーム本体をどうするか、という問題がずっしりとあなたの肩にのしかかるかるからだ。
仲間内に不評でネットにも「いまいち」なんて書かれたゲームが再びプレイされる日が来ることを期待する人こそ、きっと幸せで豊かになれるような気がする。さて、あなたは今、"豊かな人生"を歩んでいますか?
コメント
コメント一覧 (14)
最近はネット環境が整備され、○○ゲーで悩まされることが少なくなりました。ただ、○○ゲーでがっかりした経験があるからこそ、好ゲームとの出会いもより良く感じるとも言えるかもしれません。好ゲームとの出会いが当たり前となり、感動が浅くなる(マンネリ?)のも考えものです。
少なくともmoonさんの新旧好ゲームの紹介が、私のゲームライフを豊かにしてくれているのは確かです。
ゲームとの付き合い方を、どう考えるかという「ものの見方考え方」が、人生を豊かと感じるかということにも繋がるような気がします。
考え方次第というのはその通りで、記事中に書いたちょっとした不幸な巡り合わせを経験すること自体をうらやましいと思う人もいるでしょうね。
この事件は私の持ち込みゲーム数に多大な影響を与え現在にいたっております。
(こうして書いてみるとレベルの低い話ですね・・・でもせっかくなので消さずにアップさせていただきます。ごめんなさい。)
そして、ゲーム持ち込みで会を支えてくれている全ての人に感謝を。
あーそれは厳しいお話ですねぇ…心中お察しいたします。
人にそういう思いをさせないよう気を配っていきたいものです。
好きではない理由は、好みや感覚に左右されて、客観的な基準の無い数字が信用できないからです。
ゲームには好き嫌いがあります。
嫌いなゲームには点数が辛くなったり、私などは、苦手だと思っていたらとっつき易かったゲームには、かえって点数が甘くなり過ぎたりします。
でも、ゲームを「イマイチ」とか「つまらない」と言って切り捨てるのは嫌いです。
それは、ゲームを作った人にも、係わった人にも、またそのゲームを「楽しい」と感じている人にも失礼な事だと思うからです。
字数オーバーなので続きます。
あちこちで書いているので、またかと思われるかもしれませんが、ここでも書かせてくださいm(_ _)m
遥か海の彼方で、デザイナーが多くの時間と労力をかけて作り出したゲームは、多くの人々が何度もテストし、バランスを整えてやっと商品として発売されます。
それを、海外まで渡って買い付け、資金と時間をかけて輸入。さらに手間隙かけての翻訳をして、やっと我々の手に届くのです。
それを「駄作」と切り捨てるのは、そのゲームに係わった全ての時間と努力を無にすることだと、私は思います。
ゲームが簡単に入手できる意味を考え、ゲームに係わる人達への感謝と、周囲の人々を不愉快にさせない心配りが、プレイする人に必要なエチケットだと、私は思います。
これからのゲーム会には、こうした「ゲームに対するエチケット」を広めていくことも必要なのかもしれませんね。
コメントありがとうございます。livedoor側の仕様とはいえ、字数制限すいません。
段階評価はここでも一時期こっそりと(でもしかたなく)やっていた時期があります。が、やっぱり空しくなって止めました。この件については思うところがあるので、そのうちエントリーの方でまとめる予定です。
ちなみに僕はどんなゲームであれ、それを誰もが「駄作」と切って捨てる自由もまたあると思います。ただそれをネット上で公開するなら、そういう考えに至った理由も併記するべきだとも思います。
う~ん、確かに「自由」と言われると、もっともな気がします。
でも、何か引っかかるなぁ(._.;)ゞ
考えが纏まっていないので時間を置くべきなのかもしれませんが、間が抜けちゃうので、とりあえず今の考えをm(_ _)m
・ゲームの評価は「好み」に左右される部分が大きいような気がします。
・奥の深いゲームなどは、1度や2度プレイしただけでは、楽しさが見えてこない場合が多分にあります。
(もしかしたら、たまたまその時のゲーム展開が悪かったのかもしれない。場の流れって、ありますよね?)
・悪い部分だけ見て感想を言おうと思うと、いくらでも言えちゃうところがあります。(その気になれば、私にだって言えちゃう)
ところで、またしても字数制限なので、続きます(ToT)
だから、1度や2度プレイしただけで、「駄作だ」と切り捨てる前に、「どうしたら面白くなるんだろう?」とか「おかしいな?このゲームを面白いと感じた人が居るってことは、何かあるに違いない」と、ちょっと視点の転換を図ってみてはど~かと。
きっとゲームの新しい面とか、ルールの見落としとかが出てくると思うんですよ。
お店が選別してるのに、そんな言い方しなくても(;_;)
と思うのは、私だけなのかなぁ…。
お金を出せばゲームが沢山手に入るようになって、一つのゲームにそこまでしなくても良くなったのかもしれません。
だとしたら、時代の変化というものなのでしょう(^o^;)ゞ
でも、ネットで書く以上は、理由ももちろん、読んだ人が不愉快に感じない言葉を選ぶべきだとは思いますね。
みゃおん♪のお気持ちはよくわかります。僕はちょっとコメントを簡潔に書きすぎてしまいましたが、概ねみゃおん♪さんと考え方は同じです。
ただ僕は、仕事でゲームを提供する側の人間であり、作品を「酷評」しやすい人が世の中に一定数の割合でいることを経験的に知っています。そのため、作品の評価を意図的に貶めようとするレビューに対しては解析的(レビュアーがなぜひどい言葉を意図的に選択しているのか)な視点でとらえるクセがついてます。単に鈍感になっているのかもしれませんけれども。そのあたりも含めて、いずれ考えをまとめたいところです。
人柱の方々の尊い犠牲のおかげで、残りの人たちは少しだけ「豊かな人生」を送れてます。
あるゲームが本当に駄作なのか、何度も遊べばすごく面白くなる作品なのか、初心者には面白くないけどフリークには面白いものなのか、実はものすごい傑作なのか…そういう情報がとてもありがたいです。
逆に言えば、いいかげんなレビューや提灯記事は他の人たちの「豊かな人生」を少しだけ減らしてしまいます。
普段は言わないけど、ちゃんとレビューしている人たちをちょっと尊敬しています。
好奇心や所有欲に駆り立てられてゲームを買っているだけなので、僕の場合は尊くもなんでもありませんけれども、僕の知らないゲームを買って、なおかつそれを一緒にプレイしてもらえる場を提供してくれる人に対しては、心の底からありがたいと思っております。拝み倒したいくらい。そういう人が周囲にいることをとてもしあわせに感じます。
ところでレビューについてですけど、僕の審議眼を鵜呑みにしない方がいいですよw
曇っているとは思いたくありませんが、確実に偏ってはいますから…
ボードゲームに出会えて見ず知らずの方たちとお喋りができる私は豊かな人生なのかなあ…って思います。
確かにばっさり評価や数値評価(段階評価)を重視する人もいますね。それらの価値は見た人が決めることですし、そういう形で評価を行うこと自体は自由だと僕は考えています(僕はやろうとは思いませんし、良い評価法であるとも思いませんけど)。