
「怪獣玩具の冒険」 著:神谷僚一 フィルムアート社刊

当時「プラモデル」の商標を持ち、ソフビ怪獣人形の大ヒットを飛ばしたマルサンが、1968年の暮れに倒産します(倒産時の社名はマルザン)。業界大手の一角であったマルサンの倒産は各方面に衝撃をもたらし、そのことは一般誌にも報じられるほどでした(『週刊文春』1969年2月3日号など)。 マルサンは1969年4月に早くも事業を再開しますが、再建当初は役員3人のみ、本社は社長の自宅という状況でした。
[マルサン商店]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B3%E5%95%86%E5%BA%97
「マルサン物語: 玩具黄金時代伝説」 著:神永英司 朝日新聞出版刊

「サンダーバード」関連商品のヒットにより大きな収益を上げていた今井科学の倒産により、マルサン倒産に引き続いて玩具業界は大きく揺れ動きます。サンダーバード商品は、同じく大手のバンダイと共同して宣伝や拡販に努めていましたし、実際に今井科学は前年の決算で27億円近くもの年商を叩き出していました。その翌年の決算を待たずして倒産しまったのです。
[今井科学]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E7%A7%91%E5%AD%A6
倒産時の両社に共通していることは、主力商品がマスコミ玩具、すなわちキャラクター玩具にあった点です。その隆盛を支えていた「サンダーバード」や「怪獣ブーム」は1969年ごろには既に人気のピークを過ぎていました。
「空想特撮シリーズ ウルトラマン大全集」 テレビマガジン編集 講談社刊

1968年に放送を終了した「ウルトラセブン」は、円谷英二のこの言葉によって第1期ウルトラシリーズ(放送当時は空想特撮シリーズ)の終わりともなりました。実際に、巨大な着ぐるみ怪獣が登場する特撮番組は次々とテレビや映画から消え去り、他の試みが多くなされていました。
結局、この数年後に再び怪獣ブームが訪れるのですが、それはこの時点では少しだけ未来のお話です。
子供を取り巻く環境も急激に変化していました。昭和30年代は第一次ベビーブーム世代(後に言われる"団塊の世代")が学齢期を迎えていた時期であり、これが玩具ビジネスの内需に好影響を与えてたことは容易に想像できます。
[ベビーブーム(1947〜1949年)]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0
[団塊の世代]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3
ですが、それだけを頼りにした事業スキームは、世代が進んで子供の数が相対的に減少するにしたがって様々なひずみを生じさせることとなりました。
昭和35年(1960年)と、その10年後の昭和45年(1970年)の国税調査結果のグラフからは、わずか10年で年少人口が大きく変化していることが見て取れます。現在の感覚からすると子供の総数は決して少なくはありませんが、それまでとは極端に異なった状況に移ったことはよくわかるグラフです。
[昭和35年と昭和45年の人口ピラミッド (総務省統計局サイトより)]
http://www.stat.go.jp/info/pdf/60-70.pdf
この団塊の世代の子供たち、いわゆる団塊ジュニアと呼ばれる世代(第二次ベビーブーム)が現れるのは、やはり少しだけ未来のことです。
「月刊ホビージャパン」が、ミニカー専門の模型雑誌として創刊したのは、そんな1969年(昭和44年)の夏のことでした。
「初心者用の記事は掲載しない」と明言して憚らないこの尖鋭的な新しい模型雑誌は、やがて『ウォーゲーム』という新たなホビーを国内へもたらす契機を作り出すことになります。
もちろん、そのことも彼らにとって、まだ見ぬ未来のお話なのでした。
(第一夜 了 / 第二夜へ続きます)
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