
この記事は、Board Game Design Advent Calendar 2014 の24日目の記事と、本ブログ「レイメイ期のウォーゲーム」の第3回目のエントリーとを兼ねて書かれました。
本エントリーでは、月刊ホビージャパン1972年4月号と、1972年6〜10月号まで連載されていた「ミニチュア模型による・ウォーゲーム(著:井出隆弥氏)」の記事を紹介しています。そして、この当時に国内で紹介されたばかりのミニチュア・ウォーゲームのオリジナルルールがどのようなものであったかということと、そのデザイン過程のレビューをしてみました。
「ミニチュア模型による・ウォーゲーム」より ※原文ママ

この号の記事では、読者にとってこれが誌上でウォーゲームについて初めて触れる機会でもあるため、海外近況情報の紹介とともに「ウォーゲームとは何か」という大枠の解説から始まります。
この連載でこれまでもよく見られたように、本記事でもジオラマ模型の写真が多用されています。これによって、ウォーゲームがどのようなものであるかを視覚的にも読者へ伝えようとしたのでしょう。
ルールの解説に並行して、既存のスケールモデルをどのように使うのか、そして補助として道路や河川をどのように表現するのかについても多くのスペースを割いて記述されています。ミニチュアウォーゲームで使用するスケールモデルや補助的な地形の形成方法などは、以後の記事でも詳細に解説され続けることになります。
記事本文はゲームルールだけではなく、指針や心構えにいたるまで混在して記述されています。これが競技ルールの説明ということであれば、正直なところあまり読みやすくはありません。写真の緻密さやわかりやすさとは対照的です。
もっとも、海外のミニチュアウォーゲームのルールブックには、このようにプレイ時の大まかな指針のみが記述されたものも見かけますので、そのやり方自体に問題があるわけでもありません(少なくとも連載初回の時点では)。
この連載記事の問題点は、この「ルール」が「競技の規定」なのか、それとも「遊ぶための指針」なのか、その方針が定まらないまま揺れ動いた点にあります。つまりこの不安定な状況は、この後もしばらく続くのです。
なお、記事本文や写真の補足説明は、実はルールそのものではありません。記事の最後の1ページにまとめられた「ウォーゲーム・ルール表」がその実体であり、その全てです。
またこの号の記事では、歩兵や車輛などの移動ルールにまでしか言及されていませんでした。戦闘ルールは例図の掲載に留まっています。どのようにゲームが進行するのかに至っては未記載です。ようするに、この号の記事だけでゲームをプレイすることはできなかったということです。
上述の引用文から私が感じたことは、少なくともこの連載1回目の記事が書かれた現時点において執筆者は、プレイのしやすさやルールの厳密さより、ジオラマを使って壮観な戦場を表現すること自体を優先していたのではないかということでした。当然ながら月刊ホビージャパンは模型雑誌ですし、この連載記事も、もともとはジオラマの制作がメインテーマになっていたのですから、仮にそうであったとしても自然な成り行きではあります。
いずれにせよ、こうして本連載は始まりました。多少の混乱が見受けられるものの、読者に今後の展開を大いに期待させる内容にはなっていると思います。この連載は次の5月号では休載となり、6月号に続くことになります。
◆1972年6月号「ミニチュア模型による・ウォーゲーム (その2)」より ※原文ママ

前号の5月号は、「筆者の都合により」休載となり、翌6月号に持ち越されました。休載の理由は不明です。
連載2回目となるこの記事では「モデル・ソルジャーの世界」という連載名が復活し、「ミニチュア模型によるウォー・ゲーム」がサブタイトルのような扱いになっています。
さて、この号の記事にてゲーム進行に関するルールが明らかとなりました。それは今でいうところの「アクションポイントシステム」によく似たものです。
まず、プレイヤーの手番開始時に「5ポイント」が与えられます。プレイヤーはその手番中にひとつのコマを選び、それに移動か射撃(戦闘)を行わせることで1ポイントを消費します(例外的に『工兵』は、それ以外の特殊任務を遂行する機能が与えられています)。基本的にはこれだけです。
アクションポイントシステムを導入することで、プレイヤー間で模型コレクション数に差があっても、ゲーム中に運用が可能なコマ数は双方で等しく限定されているため、バランスを整えるという意味もあったのかもしれません。
ただ残念ながら、このルールでわかりやすいのはここまでです。歩兵や工兵は10人1組の「兵員グループ」という単位で1コマとして扱われるのですが、兵員グループが戦闘や兵科変更などによって人数が減ると、コマごとに消費されるポイントも1未満の小数点で消費するようになっていました。
例えば、戦闘によって「10人」から「5人」に減った歩兵の兵員グループが2コマあるとしましょう。この2つのコマは1ポイントの消費で2コマとも同一手番での移動か射撃を実施することが可能です。
このような人間1人単位で管理するポイントルールの煩雑さは、後の記事で実施されるルール改訂でも簡略化されることはなく、かえって煩雑なルールに膨らむことになります。ゲームで使用するスケールモデルが1人単位となっているので、見た目と同じ単位で処理を行わせることを何よりも優先する意図が読み取れます。
その他に、歩兵に関する「編成」「移動」「火力(攻撃力)」「バズーカ兵」「転用(兵科変更)」ルールが明らかになりました。詳細は略しますが、この時点での歩兵は射程が短い上に足も遅く、また戦車や装甲車に対しては、よほど運に恵まれない限りほぼ無力な存在でした。
この号の記事で、どうにかプレイできるかもしれないくらいにはまとまったものの、競技としてプレイするにはまだ曖昧な点が多く見受けられます。
◆1972年7月号「ミニチュア模型による・ウォーゲーム (その3)」より ※原文ママ

「ミニチュア模型によるウォー・ゲーム その3」です。記事の冒頭に「途中から読まれる読者のために」という表題で、ウォーゲームの簡単な概要説明と、関連記事のバックナンバーリストが掲示されています。
この号の記事では、カノン砲(原文では"キャノン砲")を用いた砲兵戦についてのルールが解説されます。本作では、射撃で用いられるカノン砲の種類によって大きさの異なる「サークル」を用いて判定するという説明が写真付きで記述されているのですが、その「サークル」の使い方をはじめとする砲撃戦ルールの詳細がどこにもありません。
冒頭の引用文では「簡単にふれ」ると書かれている火砲の歴史、つまり兵器としてカノン砲が戦場ではどのように用いられてきたのかという記述が、実際には記事の大半を占めています。
またウォーゲームに適しているスケールモデルの新製品情報や、ジオラマで使用する樹木の作成方法など周辺情報も実に詳細に書かれていますが、そこにもゲームのルールはほとんど見当たりません。
ということで、連載3回目を読んだ後でも、まだ競技としてのゲームはプレイすることができないのでした。
◆1972年8月号「ミニチュア模型による・ウォーゲーム (その4)」より ※原文ママ

ウォーゲーム公開戦(デモプレイ)が1972年7月9日に東京は代々木にて開催され、実に600人(!)もの観戦者が集まったというレポート記事が掲載されています。
これによって、ウォーゲームがモデラーたちに注目されていたことが読者にも可視化されることになり、ウォーゲームの人気に火が付いたことが誰の目にも明らかとなりました。
また別のページでは、模型問屋によるウォーゲーム関連商品の広告が掲載されるようにもなっています。
さて連載記事は「ミニチュア模型によるウォー・ゲーム その4」です。まずは読者からの問い合わせに対応する形で、前号までの記事本文や写真で頻出していたゲーム専用用具についての解説と、その作り方が書かれています。
具体的には、砲撃の被害判定に用いられる「炸裂サークル」、命中判定用の「確率サークル」、そしてコマの移動や射撃距離を計測するための「メジャー(原文は"距り計")」などの使い方やサイズが明確になりました。まだ不明確な部分は残っていましたが、とにかくも、これらの用具を読者が自作することが可能となったことは大きな前進です。
今号の記事の後半は、地形のジオラマ制作方法と作例、ウォーゲーム向けの新商品紹介、海外の書籍紹介で、ゲーム表にも変化が無いため、ルールの内容はこれまでと同じです。
◆1972年9月号「ミニチュア模型による・ウォーゲーム (その5)」より ※原文ママ

「ミニチュア模型によるウォー・ゲーム その5」です。前号でレポート記事が掲載された公開戦(デモプレイ)について触れられています。
上述の引用文から思うに、執筆者の井出氏と、ウォーゲームに注目している読者との間とに、少なからずギャップが生じ始めていたことが読み取れます。生粋のモデラーである井出氏は、ウォーゲームを国内へ本格的に紹介したという自負を持ちつつも、連作記事はあくまで自作のジオラマとデモプレイの写真を掲載することにこだわっていたようです。
このためにルールそのものの整備が遅れ、連載が何ヶ月も続いているわりには不明瞭な点が多く放置されてしまっていました。読者が望んだのは「シャープさ」、つまりそれはルールの明確化だったのではないでしょうか。
デモプレイ(公開戦)イベントを開催したことは、国内に初めて"ゲームシーン"を創出したことなど多くの意義をもたらしました。同時に、この連載の読者が何を望んでいるのかを執筆者に気がつかせたという点でも大きな意味があったと思われます。
それではこの号の記事でルールの明確化が行われたのかというと、実はそうでもないのです。前述のデモプレイ観戦者から質問や要望のあったという「補給」ルールの追加が行われています。これは、基礎を固める前に屋根の上の屋根を重ねるようなもので、執筆者の困惑と迷走ぶりが見て取れるような気がしました。
本号の記事は、そのデモプレイの写真が多数掲載されており、見た目には素晴らしい内容となっています。
◆1972年10月号「ミニチュア模型による・ウォーゲーム (最終回)」より ※原文ママ

事前には予告されていなかったように思うのですが、連載「ミニチュア模型による・ウォーゲーム」はここで最終回と銘打たれました。この記事では、これまでとは全く異なってジオラマ写真はほとんどなく、びっしりとルール解説が行われています。
「ミニチュア模型によるウォー・ゲーム」の連載当初から掲載され続けてきた「ルール表」は、この記事で大きな改訂が入りました。それはエラッタ対応やルール明確化といったレベルではなくて、もはや改作です。初心者向きであったはずの本作はその基本方針をも転換し、精緻さを追求した複雑なゲームへと変貌しました。
この"改作"は、公開戦を経験した執筆者が観戦者(=読者)から意見を積極的に取り入れた結果であることは明白です。それ自体は良いのですが、アイデアをストレートにルールへ盛り込んだような実装は問題です。これをまとめるのに、執筆者は大変な労力を費やされたことでしょう。ですが工夫が見られません。
例えば、これまでは利用価値が低かった歩兵をより強力に設定し、しかしそれでは歩兵だけで戦いが事足りてしまうので、それを防ぐために別の制限ルールをいくつか加える… というように、前回と同じく屋上屋を架すというゲームデザインにおける典型的なアンチパターンに陥っています。
なお、アクションポイントシステムで発生しやすい「長考」や、ゲーム序盤で後手番が不利になりやすいなど、現在のボードゲームでもよく話題に上る緒問題がここで早くも取り上げられています。そして、(あまりスマートでないにせよ)それらへのソリューションが提案されていることは興味深いことだと思いました。
本号のルールの詳細は、変更・追加が多岐にわたるのでここでは省略します。いずれにせよ、これでこの連載は一度終了します。ちなみに、この膨大な改訂ルールにはやはりエラッタがあり、次々号(1972年12月号)でいくつかの訂正がかかります。
◆始まりの終わり翌々月の12号では、都内で行われた18チームによる本作の「対抗戦」が開催され、その様子が詳細にレポートされました。対抗戦の様子は一般公開され、さらに他のマスメディアの取材を受けての、これまでにない規模の大きなイベントでした。
しかしその後で、やっかいな問題が引き起こされます。古株のウォーゲーマーであればどなたでもご存じの、あの「戦争ごっこ報道」です。この報道以降、もはやゲームの完成度うんぬんの話どころではなくなり、ウォーゲームというホビー自体が一種の社会問題として世間に認知されてしまう恐れが生じてしまいました。

1972年10月12日 朝日新聞・東京版 / 朝刊 (朝日新聞データベースより)
そして、これほどまでに誌面をにぎやかせていたウォーゲームの記事は、1973年2月号には消滅することになるのです。
(第三夜 了 / 次回で最終夜 / 更新時期は未定です)
この先の話は、ボードゲームデザインアドベント2014の趣旨から離れた内容になると思われますので、24日目の記事としてはこれにて終了いたします。本エントリーの続きは最終夜にて公開する予定です。
コメント
コメント一覧 (3)
当時の対応は当時の限界だったと思います。後のボードウオーゲームでさえ世論と対抗できる程の影響力は持てませんでしたので。
そうなんですよね。当時はまだ、大新聞の揶揄に対する反駁の言葉や手段を誰も持っていませんでした。新聞記事が掲載された1972年10月以降に続く数年間の流れも下書き程度にはまとめておりますので、そのうち続きを書こうかと思ってます。
私が夢中になったのはこの後のボードウオーゲームでしたが、これはシミュレーションだと主張するのに当時必死でした。大新聞も含め当時の周囲は決して好意的ではありませんでしたので。
今は良い時代だと思います「太平洋戦史」などゲームとして良くできていてそれでいてしっかり史実を踏まえた良いものが多いですし世間も無関心でいてくれます。
追記、ゲームがデザイナーの組み立てた作品である以上は題材の保持する様々なパラメータを誰もが納得できるように拾い集めることは不可能だしその必要も無いと今は思います。つまり「誰もが納得するシミュレーションゲーム」など存在できないと思います。